鷹取山へハイキング(後編) [散歩]
今日、後編の案内図 鷹取山から「京急田浦駅」でなく「東逗子駅」に戻ります
前編の “東逗子駅から鷹取山まで” は、こちらとなります
今日の後編では、鷹取山頂から東逗子駅まで 3.8kmを歩きました(計 5.7kmしかなりません)
ちなみに、当日のドア to ドア は、18,094歩でした
ここで、鷹取山の岩場のご案内 (展望台があるのは、親不知エリアとなります)
(再掲なのです)昨年5月 “鷹取山へトボトボ” 訪ねたときのブログで紹介しました
「山と渓谷社」のHPから借用(なぜか 下が、おおよその北方向)
国土地理院の空撮画像を180°回転して加工
ちなみに “湘南鷹取” の開発は、西武鉄道系 “あの堤さん”、ですからスーパーは “京急ストア” でなく “西友” となります
Wiki.によると 1965年(昭和40年)以降、山の周辺が住宅地(湘南鷹取)として開発され岩場のみ公園として残された
ここで “鷹取山” で切り出された「鷹取石」は、どうやって運び出されたのでしょうか...
いつもの「はまれぽ.com」さんによると... 「本格的に発掘されたのは1877(明治10)年ごろ 当初は所有者の自家用材だったが、日清戦争後、東京湾防衛のために海堡(かいほう:海上に作られた砲台)が築かれるようになったことで大量の石材が必要になり、採掘業が急速に発展し、その石材を『鷹取石』と呼ぶようになった」「明治後期から大正時代が全盛期 1923(大正12)年9月の関東大震災で、急速に石材利用は寂れた 一つは地盤が隆起し、鷹取川に運搬用の船が入れなくなった もう一つは震災後、セメントの普及が進み、需要がなくなったこと」
歴史的農業環境閲覧システムの「迅速測図」に加筆しました
今では、2本の川とも上流部は、川の痕跡を窺い知ることはできません(ある場所までは “暗渠化” と思われますが...)
09 本日 1枚目は、前回の “展望台” からの眺めです
「後浅間」西面 “D : 学校クラック” の壁? たくさんのザイルが見えます、下には “たくさんの人” が...??
10 リーダーが 「子不知」の横の壁で戯れます(会員3人の中で、1番の若手なのです)
「子不知」の東側の壁 大修理?されております 何かにみえますかネェ〜?
「後浅間」矩形部 “C : マジックマッシュルーム” の大きな岩壁
「磨崖仏」に向けて木々の間を抜けて行くと... おそらく台風15号の猛威?
“通行止め” で無く “通行注意” でした 大きな “コナラ” の木と思います
こんな、大きな立派な木でした 樹齢は、100年くらい? 画像を回転させました
裏へ、木の根元側に回り込みました たくさんの “根っこ” の部分で綺麗に剥離しております
はるか大昔、切り出して平らになった大岩の上に “タネ” が無事着床したのですネ
(小さな根毛たち “我々は、どこへ延びようか...” と毎日 悶々としていたことでしょう)
11 「磨崖仏」まで届きました 1年振りの “ご対面” となります
ここも「はまれぽ.com」さんによると... 仏さま、鷹取山で2作目の「弥勒菩薩(みろくぼさつ」
鷹取山区域では、数体の “磨崖仏” が作られ「磨崖仏のメッカ」とする計画だった(下が、その計画図)「しかし藤島氏(製作者)が体調を崩し1963(昭和38)年に死去 堤会長(後援者)が後を追うように1964年4月に亡くなってしまい、実現しませんでした そのころ鷹取山一帯を観光地から宅地開発にする案が出ていて、磨崖仏のメッカにする話は消えてしまいました」 「はまれぽ.com」さんの絵図面を拝借しました
この絵図面 “磨崖仏” と “前浅間” の位置が入れ替わっているように思えます
「磨崖仏」の反対側の壁 イワタバコの葉のようです
立てられたばかりの「桜の...」 “人が好き! 山が好き! 横須賀山岳協会” (令和元年10月吉日の日付でした)
この壁は「前浅間」の領域だと思います
この岩壁の横には、登るのに適当な感じのルート?があります(ですので、鉄柵で防御されております)
今日は、ここでUターンです 壁の隙間を抜けて「磨崖仏」の方に戻ります
「後浅間」前面の垂直の壁は見るだけですが... 今日も背後からヤブ道を上がりました
前方に「展望台」・「親不知」・「子不知」・「展望広場(管理事務所)」が拡がります
上がれた場所から、コワゴワ下を覗き込みました
手前には、ザイルを掛けるための?鎖 etc.が用意されております
あっ、ここでもリーダーは、軽快に岩と戯れておりました
見下ろす木々、まだ、緑色です、秋の気配は、まだほんの少しだけ...
あっ、楽しみおわりました 落下してきました
あの大修繕されている岩壁です 正解は、やはり “イヌ” ですかネェ〜
戻ってくると、 “C : マジックマッシュルーム” の大きな岩壁にクライマーが張り付いております
12 「京急田浦駅」方面へ向けて鷹取山から離れます
13 さらに道を外れて「貝山線・No.7」高圧線鉄塔までやってきました(ここで道は消滅しました)
相変わらず、いつも お世話になっている「塔マップ」さんには、繋げることができません
14 戻ってきた場所は、分岐点「緊急通報ポイント・たかとり41番」(隣りに京急が立てた案内標もあります)
この地点からは、鷹取山の展望台が望めるように、木々が切り開かれております(直線距離で 400mぐらい)
さらに、しばらく進むと、奇跡? “トリカブト(鳥兜)のお花畑” ?
(この画像で、何人分の致死量となるのでしょうか...)
「トリカブト(鳥兜)」だけの単体の名前は、無いそうです
三浦半島のトリカブト類は概ね茎が直立するツクバトリカブトだそうです 内陸の方に行くとヤマトリカブトが多くなるそうです 「しゅんの花のある生活」さんより...
自分が初めて見知った “トリカブト” は “裏銀” で見た「ハクサントリカブト(白山鳥兜)」(半世紀前のことです)
花を見て “アザミ(薊)” かと... 葉を見てみると “タムラソウ(田村草)” ですネ
いつも以上に全くどうしようもない “画像” で申し訳ないですが、記録重視で... 「サラシナショウマ(更科升麻)」と思います
こちらは、リーダーご指摘 “ヤクシソウ” です
リーダーが「サネカズラ(実葛 / 真葛)」の赤い実も見つけました(小さく咲く花を見つけたいのですが...)
15 次の ”分岐点” ここを右折して「東逗子駅」方面へ下りていきます
一般的な道は、京急が立てた案内標が示す、直進する「京急田浦駅」方面となります
(この案内標の赤い矢印、なんとなく自分には、違和感がありました / 道の反対には、東逗子を示す、小さな表示もありました)
すぐ下を走る “横々” 目がけて、沼間4丁目の道を下っていきます
16 まもなく、舗装された車道に出てきました(可愛らしい立札 “鷹取山” を指しています)
のどかな “沼間” の町を、冷たいビール求めて西へ急ぎ足です
季節到来 “コダチダリア(木立ダリア) ”が咲きはじめております
自分が初めて見たのは、立川の「昭和記念公園」 名札は “コウテイダリア(皇帝ダリア)” でした
逗子駅前の “立呑み屋” が開いておりました 明るい時間には、いろいろ売っている八百屋さんです
ホッピー黒とポテトサラダ(この直前「食堂デパート “仙満亭”」で軽〜く一杯)
(私設ハイキング同好会は “徘徊” が目的です 決して “呑み会”では、ないのです!!)
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます
前編の “東逗子駅から鷹取山まで” は、こちらとなります
今日の後編では、鷹取山頂から東逗子駅まで 3.8kmを歩きました(計 5.7kmしかなりません)
ちなみに、当日のドア to ドア は、18,094歩でした
ここで、鷹取山の岩場のご案内 (展望台があるのは、親不知エリアとなります)
(再掲なのです)昨年5月 “鷹取山へトボトボ” 訪ねたときのブログで紹介しました
「山と渓谷社」のHPから借用(なぜか 下が、おおよその北方向)
国土地理院の空撮画像を180°回転して加工
ちなみに “湘南鷹取” の開発は、西武鉄道系 “あの堤さん”、ですからスーパーは “京急ストア” でなく “西友” となります
Wiki.によると 1965年(昭和40年)以降、山の周辺が住宅地(湘南鷹取)として開発され岩場のみ公園として残された
ここで “鷹取山” で切り出された「鷹取石」は、どうやって運び出されたのでしょうか...
いつもの「はまれぽ.com」さんによると... 「本格的に発掘されたのは1877(明治10)年ごろ 当初は所有者の自家用材だったが、日清戦争後、東京湾防衛のために海堡(かいほう:海上に作られた砲台)が築かれるようになったことで大量の石材が必要になり、採掘業が急速に発展し、その石材を『鷹取石』と呼ぶようになった」「明治後期から大正時代が全盛期 1923(大正12)年9月の関東大震災で、急速に石材利用は寂れた 一つは地盤が隆起し、鷹取川に運搬用の船が入れなくなった もう一つは震災後、セメントの普及が進み、需要がなくなったこと」
歴史的農業環境閲覧システムの「迅速測図」に加筆しました
今では、2本の川とも上流部は、川の痕跡を窺い知ることはできません(ある場所までは “暗渠化” と思われますが...)
09 本日 1枚目は、前回の “展望台” からの眺めです
「後浅間」西面 “D : 学校クラック” の壁? たくさんのザイルが見えます、下には “たくさんの人” が...??
10 リーダーが 「子不知」の横の壁で戯れます(会員3人の中で、1番の若手なのです)
「子不知」の東側の壁 大修理?されております 何かにみえますかネェ〜?
「後浅間」矩形部 “C : マジックマッシュルーム” の大きな岩壁
「磨崖仏」に向けて木々の間を抜けて行くと... おそらく台風15号の猛威?
“通行止め” で無く “通行注意” でした 大きな “コナラ” の木と思います
こんな、大きな立派な木でした 樹齢は、100年くらい? 画像を回転させました
裏へ、木の根元側に回り込みました たくさんの “根っこ” の部分で綺麗に剥離しております
はるか大昔、切り出して平らになった大岩の上に “タネ” が無事着床したのですネ
(小さな根毛たち “我々は、どこへ延びようか...” と毎日 悶々としていたことでしょう)
11 「磨崖仏」まで届きました 1年振りの “ご対面” となります
ここも「はまれぽ.com」さんによると... 仏さま、鷹取山で2作目の「弥勒菩薩(みろくぼさつ」
鷹取山区域では、数体の “磨崖仏” が作られ「磨崖仏のメッカ」とする計画だった(下が、その計画図)「しかし藤島氏(製作者)が体調を崩し1963(昭和38)年に死去 堤会長(後援者)が後を追うように1964年4月に亡くなってしまい、実現しませんでした そのころ鷹取山一帯を観光地から宅地開発にする案が出ていて、磨崖仏のメッカにする話は消えてしまいました」 「はまれぽ.com」さんの絵図面を拝借しました
この絵図面 “磨崖仏” と “前浅間” の位置が入れ替わっているように思えます
「磨崖仏」の反対側の壁 イワタバコの葉のようです
立てられたばかりの「桜の...」 “人が好き! 山が好き! 横須賀山岳協会” (令和元年10月吉日の日付でした)
この壁は「前浅間」の領域だと思います
この岩壁の横には、登るのに適当な感じのルート?があります(ですので、鉄柵で防御されております)
今日は、ここでUターンです 壁の隙間を抜けて「磨崖仏」の方に戻ります
「後浅間」前面の垂直の壁は見るだけですが... 今日も背後からヤブ道を上がりました
前方に「展望台」・「親不知」・「子不知」・「展望広場(管理事務所)」が拡がります
上がれた場所から、コワゴワ下を覗き込みました
手前には、ザイルを掛けるための?鎖 etc.が用意されております
あっ、ここでもリーダーは、軽快に岩と戯れておりました
見下ろす木々、まだ、緑色です、秋の気配は、まだほんの少しだけ...
あっ、楽しみおわりました 落下してきました
あの大修繕されている岩壁です 正解は、やはり “イヌ” ですかネェ〜
戻ってくると、 “C : マジックマッシュルーム” の大きな岩壁にクライマーが張り付いております
12 「京急田浦駅」方面へ向けて鷹取山から離れます
13 さらに道を外れて「貝山線・No.7」高圧線鉄塔までやってきました(ここで道は消滅しました)
相変わらず、いつも お世話になっている「塔マップ」さんには、繋げることができません
14 戻ってきた場所は、分岐点「緊急通報ポイント・たかとり41番」(隣りに京急が立てた案内標もあります)
この地点からは、鷹取山の展望台が望めるように、木々が切り開かれております(直線距離で 400mぐらい)
さらに、しばらく進むと、奇跡? “トリカブト(鳥兜)のお花畑” ?
(この画像で、何人分の致死量となるのでしょうか...)
「トリカブト(鳥兜)」だけの単体の名前は、無いそうです
三浦半島のトリカブト類は概ね茎が直立するツクバトリカブトだそうです 内陸の方に行くとヤマトリカブトが多くなるそうです 「しゅんの花のある生活」さんより...
自分が初めて見知った “トリカブト” は “裏銀” で見た「ハクサントリカブト(白山鳥兜)」(半世紀前のことです)
花を見て “アザミ(薊)” かと... 葉を見てみると “タムラソウ(田村草)” ですネ
いつも以上に全くどうしようもない “画像” で申し訳ないですが、記録重視で... 「サラシナショウマ(更科升麻)」と思います
こちらは、リーダーご指摘 “ヤクシソウ” です
リーダーが「サネカズラ(実葛 / 真葛)」の赤い実も見つけました(小さく咲く花を見つけたいのですが...)
15 次の ”分岐点” ここを右折して「東逗子駅」方面へ下りていきます
一般的な道は、京急が立てた案内標が示す、直進する「京急田浦駅」方面となります
(この案内標の赤い矢印、なんとなく自分には、違和感がありました / 道の反対には、東逗子を示す、小さな表示もありました)
すぐ下を走る “横々” 目がけて、沼間4丁目の道を下っていきます
16 まもなく、舗装された車道に出てきました(可愛らしい立札 “鷹取山” を指しています)
のどかな “沼間” の町を、冷たいビール求めて西へ急ぎ足です
季節到来 “コダチダリア(木立ダリア) ”が咲きはじめております
自分が初めて見たのは、立川の「昭和記念公園」 名札は “コウテイダリア(皇帝ダリア)” でした
逗子駅前の “立呑み屋” が開いておりました 明るい時間には、いろいろ売っている八百屋さんです
ホッピー黒とポテトサラダ(この直前「食堂デパート “仙満亭”」で軽〜く一杯)
(私設ハイキング同好会は “徘徊” が目的です 決して “呑み会”では、ないのです!!)
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます