秋分の日のダイヤ富士 [鎌倉]
いま、17時21分 山頂に太陽がかかり始めました
上の画像の1分前 富士の山頂だけ見え始めました
いま、17時11分 ダイヤまであと10分 富士山、ほとんど雲の中でした
久しぶりのダイヤ富士見物(今回もダメでしたが.... 前回は、3年半前です)
先週土曜日・9月23日 秋分の日の夕刻です
国土交通省関東地方整備局「関東の富士見百景」の「ダイヤモンド富士」に掲載されている地点
ここは、松ノ内公園馬の背遊歩道 (横浜市磯子区中原4丁目)
【選定地点の魅力】は....
松ノ内公園馬の背遊歩道からは、手前に洋光台団地を望み、遠方に富士山、右に丹沢山塊、 南アルプスの聖岳や赤石岳を、左に金時山、箱根2連山といったパノラマが一望できます。 特に1月から2月にかけては、裾野を長く引いたきれいな円錐形の富士山の姿を、また夏 の夜は、富士登山の電燈の光を見ることができます。
ここでダイヤ富士が見れるのは、春の3月20日と秋の9月23日、もちろん日没時です
この地点からは、ほぼ真西の方角(おおよそ 268°08′)に富士山が見えます
冬の本当に良い条件のときは、富士と丹沢の間に、聖や赤石が...
また、丹沢山塊の奥にある 神奈川県の最高峰 蛭ヶ岳も確認することができます
この日、横浜は午前中は小雨模様、最高気温 22.6℃ 午後は、少し陽が射してきました
僅かな期待をもって松ノ内公園へとトボトボ向かいました (原チャリですが....)
現地到着時、富士は全く見えません おかげでギャラリーも皆無 延べ7〜8人でした
そんななか カワセミを狙うためのような大砲をもった御仁がおひとりおられました
この地に来たのは、久しぶり 雲だらけのなか富士の位置も思い出せず大砲さんにご教授いただきました
ありがとうございました
着いたとき、大山の右手の雲の上に、丹沢山や蛭ヶ岳のピークが出ていたのに、残念 撮り逃しました
(多くのみなさんは、まさか丹沢の最高峰 蛭ヶ岳が見えるとは、思っておりませんが....)
17時16分 雲に覆われた富士山の裾野 右奥に条件が良いと南アルプスが見えるのです
17時21分後半 太陽の輪郭は出ません きっと、富士山頂の向こうに雲があるのですネ
17時23分 あれから2分後 太陽は、ほとんど落ちきったようです
17時27分 あれから6分後 終焉です またの機会に....
今日の付録は、鎌倉と逗子の境にある「お猿畠の大切岸」見物 (オサルバタケノオオキリギシ)
ネットをググってみると....
長さ800m以上にわたって高さ3~10mの断崖が尾根に沿って連続する切岸
鎌倉時代の防衛遺構だと言われていたが、最近の発掘調査で
鎌倉石の石切場の跡だということがわかった
残念、だいぶ歴史ロマンが消え去りましたが....
Google Mapで上空から見てみると....
今日は、逗子市久木にある、法性寺境内・墓地を通り抜けて名越のハイキングコースにトボトボ向かいました
大切岸の入口(西側)展望広場にある 「お猿畠の大切岸」の解説板
この展望広場 手入れよく整地されています(法性寺のヤグラの上にあたります)
崖?の前、歩き易い見物路?が綺麗に整備されています
大切岸の下一帯が「お猿畠」と呼ばれています
今はお猿など居そうもない農作地ですが、昔はお猿が居たという伝承が残っているそうです
大切岸の上は、名越切通しと、逗子ハイランドや衣張山方面を結ぶハイキングコースが通っています
鎌倉市指定の石造建造物「石廟」 二つあります (ハイキングコースの脇です)
法性寺墓地脇のヤグラ (この上が上記、展望広場となります)
大切岸から、逗子市街を望みました 手前にJR横須賀線が少しだけ見えます
廻りには、ヤブミョウガの果実が青藍色に熟していました
法性寺の山号は「猿畠山」、由来は日蓮を助けたお猿に因なんだものなのでしょうか...
大切岸の下一帯は「お猿畠」と呼ばれています 今は農作地、昔はお猿が居たという伝承があるそうです
境内の中の道もハイキングコースの一部? なので、急登の階段を息を切らして昇っていきました
参道の坂道の途中に大きな頑丈な門扉があり、夜は閉じられます ハイカーは、気をつけましょう
猿畠山 法性寺(えんばくさん ほっしょうじ) 扁額の左右に二匹の白猿が...
右脇の石塔に「御猿畠」「法性寺」と彫られています
山門の前は、横須賀線「久木踏切」
境内山上にある奥の院の祖師堂、左に白い鳥居があり石段を上ると山王権現社の石祠と石塔がある
墓地のヤグラ付近から見上げた、山王権現社の石塔
最後は「名越の謎の洋館」 大切岸から...
亀ヶ岡団地の最奥部にある正門から館玄関まで直線で185mあります もちろん私道です
(以下、ネットから引用)
洋館の下、JR横須賀線沿いに、横須賀市上下水道局の水道本管が通っています。 中津川を水源とする半原系統の水道管が逸見浄水場へ通じており、その歴史は帝国海軍横須賀開港時に遡ります
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます