一週一鉄 -- 318 -- [ゆる鉄]
--- 赤く無い京急電車です ---
赤い京急のレール運搬車です
休憩中で〜す
隣りを、羽田空港行きの
エアーポート急行が走り抜けます
これも、赤く無く黄色でした
(京急本線/金沢八景〜金沢文庫)
【今日の付録】 2/14付け「乗りものニュース」さんから....
JR東日本は、開業から35年が経過しようとする東北新幹線のレール 140kmを8年かけて交換します
12両編成からなるレール交換システムの車両
「新幹線レール交換システム」はこれに備えて導入される
愛称は「Rail EXcange System」の頭文字を取り「REXS(レックス)」
レールの運搬、積卸、交換、溶接がひとつのシステムでできる保守用車で
モーターカーを先頭に、レール運搬車、積卸車、フラッシュバット溶接車など
12両編成からなります
今日は、金沢八景のひとつ「小泉夜雨(こずみのやう)」に関する話題です
自分の認識では、横浜市金沢区釜利谷南にある手子神社付近がテーマと思っておりましたが...
名勝金沢八景とは...
洲崎晴嵐(すさきのせいらん)、瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)、平潟落雁(ひらかたのらくがん)
小泉夜雨(こずみのやう)、乙艫帰帆、(おっとものきはん)、称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
野島夕照(のじまのせきしょう)、内川暮雪(うちかわのぼせつ) の八景を云います
歌川広重の浮世絵「小泉夜雨」(シーサイドライン金沢八景駅の下で撮りました)
この絵の「海」の部分が、ズーッとひっかかっておりました
前回、横浜市歴史博物館で観てきた「六浦」のジオラマの一部です(北側から見ています)
「小泉夜雨」は、釜利谷方面に入り込んだ入江を、手子神社の裏手付近から南東方向に見た景観かと...
(多分、このジオラマに書いたやじるしの方向に見たものでしょうか...)
江戸時代、遠浅だった入江は、18世紀後半から2世紀かけて泥亀さんによって埋立てが進んだようです
戦中は、横須賀に近いと云うことから、第一海軍技術廠支廠が設置され、戦後は、東急車輌の工場となり
現在は、東急から譲渡されたJR傘下の総合車両製作所 本社・横浜事業所へと変遷しています
(現横浜市大の敷地は、瀬戸神社の西側を埋立てた「円通寺新田」と呼ばれる場所のようです)
ちなみに、今日の「黄色い電車」は、総合車両製作所の脇を走る京急本線で撮影しました
手子神社は釜利谷郷総鎮守
瀬戸神社の分霊を勧請したのが起源で、瀬戸神社の兼務社のひとつ
手子神社境内の左手に、境内社「竹生島弁財天」があります
この「竹生島弁財天」は、古くより金沢八景の一つ「小泉の夜雨」の勝景の中心として神社の東側にあった
のですが、昭和15年海軍の施設建設により現在地の神社内に移建し遷祀されたものです
(この部分「金沢観光協会」のHPより)
「竹生島弁財天」は、この辺りにありました(上のジオラマと同じ方向で見ています)
埋立地を貫流する宮川?の堤には、日露戦争凱旋記念として植えられた桜並木が...
この桜の木、小泉の住宅地付近の河畔に今も10本近く残り、毎年4月楽しむことができます
(でも、いま残っているサクラの木は、二代目かも知れませんネ ここより下流には、アリマセン)
(この絵図二枚は「六浦文化研究」第9号「小泉(こずみ)の今昔」より)
手子神社の前を流れる宮川河畔にある京急バスのバス停は 「小泉(こずみ)」です
「小泉夜雨」が描かれたアングルの地点と思われる現在の場所 右側が手子神社の裏山に続きます
Google Earthで確認してみると.... 真正面に広大な総合車両製作所の工場群が並んでいるだけです
現在の地名は、横浜市金沢区釜利谷東1丁目 海抜は4m サービスで2本の海抜表示がなされています
と、云うことで「小泉夜雨」の遠浅の内海の面影は、全く見えないと云うことです(苦笑)
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます
みなさま、そば粉のご要望は、八ヶ岳産の信州そば粉を.....
赤い京急のレール運搬車です
休憩中で〜す
隣りを、羽田空港行きの
エアーポート急行が走り抜けます
これも、赤く無く黄色でした
(京急本線/金沢八景〜金沢文庫)
【今日の付録】 2/14付け「乗りものニュース」さんから....
JR東日本は、開業から35年が経過しようとする東北新幹線のレール 140kmを8年かけて交換します
12両編成からなるレール交換システムの車両
「新幹線レール交換システム」はこれに備えて導入される
愛称は「Rail EXcange System」の頭文字を取り「REXS(レックス)」
レールの運搬、積卸、交換、溶接がひとつのシステムでできる保守用車で
モーターカーを先頭に、レール運搬車、積卸車、フラッシュバット溶接車など
12両編成からなります
今日は、金沢八景のひとつ「小泉夜雨(こずみのやう)」に関する話題です
自分の認識では、横浜市金沢区釜利谷南にある手子神社付近がテーマと思っておりましたが...
名勝金沢八景とは...
洲崎晴嵐(すさきのせいらん)、瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)、平潟落雁(ひらかたのらくがん)
小泉夜雨(こずみのやう)、乙艫帰帆、(おっとものきはん)、称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
野島夕照(のじまのせきしょう)、内川暮雪(うちかわのぼせつ) の八景を云います
歌川広重の浮世絵「小泉夜雨」(シーサイドライン金沢八景駅の下で撮りました)
この絵の「海」の部分が、ズーッとひっかかっておりました
前回、横浜市歴史博物館で観てきた「六浦」のジオラマの一部です(北側から見ています)
「小泉夜雨」は、釜利谷方面に入り込んだ入江を、手子神社の裏手付近から南東方向に見た景観かと...
(多分、このジオラマに書いたやじるしの方向に見たものでしょうか...)
江戸時代、遠浅だった入江は、18世紀後半から2世紀かけて泥亀さんによって埋立てが進んだようです
戦中は、横須賀に近いと云うことから、第一海軍技術廠支廠が設置され、戦後は、東急車輌の工場となり
現在は、東急から譲渡されたJR傘下の総合車両製作所 本社・横浜事業所へと変遷しています
(現横浜市大の敷地は、瀬戸神社の西側を埋立てた「円通寺新田」と呼ばれる場所のようです)
ちなみに、今日の「黄色い電車」は、総合車両製作所の脇を走る京急本線で撮影しました
手子神社は釜利谷郷総鎮守
瀬戸神社の分霊を勧請したのが起源で、瀬戸神社の兼務社のひとつ
手子神社境内の左手に、境内社「竹生島弁財天」があります
この「竹生島弁財天」は、古くより金沢八景の一つ「小泉の夜雨」の勝景の中心として神社の東側にあった
のですが、昭和15年海軍の施設建設により現在地の神社内に移建し遷祀されたものです
(この部分「金沢観光協会」のHPより)
「竹生島弁財天」は、この辺りにありました(上のジオラマと同じ方向で見ています)
埋立地を貫流する宮川?の堤には、日露戦争凱旋記念として植えられた桜並木が...
この桜の木、小泉の住宅地付近の河畔に今も10本近く残り、毎年4月楽しむことができます
(でも、いま残っているサクラの木は、二代目かも知れませんネ ここより下流には、アリマセン)
(この絵図二枚は「六浦文化研究」第9号「小泉(こずみ)の今昔」より)
手子神社の前を流れる宮川河畔にある京急バスのバス停は 「小泉(こずみ)」です
「小泉夜雨」が描かれたアングルの地点と思われる現在の場所 右側が手子神社の裏山に続きます
Google Earthで確認してみると.... 真正面に広大な総合車両製作所の工場群が並んでいるだけです
現在の地名は、横浜市金沢区釜利谷東1丁目 海抜は4m サービスで2本の海抜表示がなされています
と、云うことで「小泉夜雨」の遠浅の内海の面影は、全く見えないと云うことです(苦笑)
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます
みなさま、そば粉のご要望は、八ヶ岳産の信州そば粉を.....