六浦湊(ムツラミナト) [横浜]
横浜市歴史博物館 常設展示室「中世 戦乱の中に生きる」 を見てきました
目的は、中央に展示された「六浦地形復元模型」(縮尺 1:1600・もちろん上方が北です)
歴史博物館HPの説明では...
中世の展示室では、十二世紀末から十六世紀におよぶ鎌倉時代~室町時代の横浜の歴史を紹介します
この時代は、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、武士による政治が始まったときから、豊臣秀吉が全国統一する
までの時代にあたります
武士による新しい政治のもと、中世の横浜の人々がどのような生活を送ったのか、このテーマを基本に展示
してあります
展示室の中央には、中世横浜の海の玄関口で、文化・交易・産業の中心地となった、六浦湊(金沢区)や
周辺の地形を復元した大型模型が置かれています
六浦は、鎌倉幕府が開かれてから、鎌倉の外港として中国との貿易や江戸内湾の交易によって栄え、武士や
商人・職人・宗教者などが多く集まり、にぎわいをみせた地域です
復元部分の位置関係 現在の地図と重ね合わせて表示されています おおよそ、南北 4km 東西 5km
ほぼ真ん中付近に、金沢八景の鎮守さま「瀬戸神社」があります
明治時代に入ってからの、この周辺の地図です
金沢文庫付近の浅瀬は、泥亀新田として干拓が進んでいます 野島は、砂州続きのままです
(風光明媚な「金沢八景」の景観は、この時代から、もうすでに無くなりつつあります)
(この地図は、横浜市立中央図書館でコピーしてきました)
現在の国土地理院の地図では、この辺りとなります ほぼ真ん中に、金沢八景駅があります
前回のモザイクモール港北観覧車のあとは、横浜市歴史博物館を訪ねました
常設展示コーナー「中世」のブースを見学 ここには、六浦湊のジオラマがあります
いまは、六浦 「むつうら」と読んでいますが、このころは「むつら」と読んでいました
歴史博物館の玄関 青空が続きます 良い天気です
2F常設展示室の入口(自分は、横浜シニアカードなので三渓園同様無料となります)
振り返りました 右にある階段を降りるとチケット売場があります
展示室真ん中は「スタディサロン」と案内カウンター
常設展示室の間取り
右回りに「原始I」「原始II」「古代」「中世」「近世」「近現代」 6部屋で構成されています
「中世」の対象は、およそ400年のようです
「中世」展示の中のひとつ「上行寺東やぐら群遺跡」
この写真の真ん中奥に「六浦南」の宅地造成風景が写し撮られております
ここからジオラマの紹介です ジオラマを北の方角から見ています
ジオラマを西の方角から見ています 真ん中に見える谷は「白山道」(大むかし、鎌倉への主ルートでした)
(「白山道」いまは「はくさんどう」と親しまれておりますが... この時代は「しらやま」と読まれております)
南側から、現在の六浦地区を見ています
入江が拡がっており、この付近が「六浦湊」の中心地となるのでしょうか....
「光伝寺」が映っています 現在は「光傳寺」と称していますが....
右の谷の奥に「白山道トンネル」があり、以前紹介した六浦川の源流となります
真ん中に「上行寺」 左右のお寺、嶺松寺、能仁寺、浄願寺は、いまはアリマセン(ここに「引越」の地名があります)
右後ろで光っているのは「瀬戸橋」 映る山の縁を、現在は「環状4号線」が走っています
南方向から見ています 「洲崎」「町屋」から「寺前」一番奥に「称名寺」(旧国道ですネ)
東方向から見ています 真ん中にある谷は「大道」方面 当時は、朝比奈切通しを経由しての鎌倉への道
いまは「環状4号線・県道原宿-六浦」の大動脈です
同じく東方向から見ています 左にある谷を今は「京急逗子線」が走っていきます
「能見堂」の上空から「野島」方向を望みます (野島は、今とは違い砂州続きです)
この丘の先端付近が八景のひとつ「小泉夜雨」の舞台です そしてその裏が手子神社です
ここに手子神社の柱が立っていますが間違い ここは、現在、ちょっと賑わう「パン屋」さんの辺り
このジオラマに対応した「中世の六浦」の地図です
埋蔵文化財センター広報誌「埋文よこはま・26号」より...
と、云うことで、後日 “金沢区内” 33ヶ所の海抜表示板を確認してまいりました
当日の昼餉は、近くの手打ち蕎麦屋さん ランチタイム、追加料金無しで大盛りにしてくれます
おいしかったですヨ 二八でもないような感じでした
最後は、一週間前のチョコレート 六種類の焼酎ゼリーが閉じ込められていました
伊佐美(芋)・紅乙女(胡麻)・常蔵(麦)・武者返し(米)・れんと(黒糖)・あまおう(麦)
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます
目的は、中央に展示された「六浦地形復元模型」(縮尺 1:1600・もちろん上方が北です)
歴史博物館HPの説明では...
中世の展示室では、十二世紀末から十六世紀におよぶ鎌倉時代~室町時代の横浜の歴史を紹介します
この時代は、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、武士による政治が始まったときから、豊臣秀吉が全国統一する
までの時代にあたります
武士による新しい政治のもと、中世の横浜の人々がどのような生活を送ったのか、このテーマを基本に展示
してあります
展示室の中央には、中世横浜の海の玄関口で、文化・交易・産業の中心地となった、六浦湊(金沢区)や
周辺の地形を復元した大型模型が置かれています
六浦は、鎌倉幕府が開かれてから、鎌倉の外港として中国との貿易や江戸内湾の交易によって栄え、武士や
商人・職人・宗教者などが多く集まり、にぎわいをみせた地域です
復元部分の位置関係 現在の地図と重ね合わせて表示されています おおよそ、南北 4km 東西 5km
ほぼ真ん中付近に、金沢八景の鎮守さま「瀬戸神社」があります
明治時代に入ってからの、この周辺の地図です
金沢文庫付近の浅瀬は、泥亀新田として干拓が進んでいます 野島は、砂州続きのままです
(風光明媚な「金沢八景」の景観は、この時代から、もうすでに無くなりつつあります)
(この地図は、横浜市立中央図書館でコピーしてきました)
現在の国土地理院の地図では、この辺りとなります ほぼ真ん中に、金沢八景駅があります
前回のモザイクモール港北観覧車のあとは、横浜市歴史博物館を訪ねました
常設展示コーナー「中世」のブースを見学 ここには、六浦湊のジオラマがあります
いまは、六浦 「むつうら」と読んでいますが、このころは「むつら」と読んでいました
歴史博物館の玄関 青空が続きます 良い天気です
2F常設展示室の入口(自分は、横浜シニアカードなので三渓園同様無料となります)
振り返りました 右にある階段を降りるとチケット売場があります
展示室真ん中は「スタディサロン」と案内カウンター
常設展示室の間取り
右回りに「原始I」「原始II」「古代」「中世」「近世」「近現代」 6部屋で構成されています
「中世」の対象は、およそ400年のようです
「中世」展示の中のひとつ「上行寺東やぐら群遺跡」
この写真の真ん中奥に「六浦南」の宅地造成風景が写し撮られております
ここからジオラマの紹介です ジオラマを北の方角から見ています
ジオラマを西の方角から見ています 真ん中に見える谷は「白山道」(大むかし、鎌倉への主ルートでした)
(「白山道」いまは「はくさんどう」と親しまれておりますが... この時代は「しらやま」と読まれております)
南側から、現在の六浦地区を見ています
入江が拡がっており、この付近が「六浦湊」の中心地となるのでしょうか....
「光伝寺」が映っています 現在は「光傳寺」と称していますが....
右の谷の奥に「白山道トンネル」があり、以前紹介した六浦川の源流となります
真ん中に「上行寺」 左右のお寺、嶺松寺、能仁寺、浄願寺は、いまはアリマセン(ここに「引越」の地名があります)
右後ろで光っているのは「瀬戸橋」 映る山の縁を、現在は「環状4号線」が走っています
南方向から見ています 「洲崎」「町屋」から「寺前」一番奥に「称名寺」(旧国道ですネ)
東方向から見ています 真ん中にある谷は「大道」方面 当時は、朝比奈切通しを経由しての鎌倉への道
いまは「環状4号線・県道原宿-六浦」の大動脈です
同じく東方向から見ています 左にある谷を今は「京急逗子線」が走っていきます
「能見堂」の上空から「野島」方向を望みます (野島は、今とは違い砂州続きです)
この丘の先端付近が八景のひとつ「小泉夜雨」の舞台です そしてその裏が手子神社です
ここに手子神社の柱が立っていますが間違い ここは、現在、ちょっと賑わう「パン屋」さんの辺り
このジオラマに対応した「中世の六浦」の地図です
埋蔵文化財センター広報誌「埋文よこはま・26号」より...
と、云うことで、後日 “金沢区内” 33ヶ所の海抜表示板を確認してまいりました
当日の昼餉は、近くの手打ち蕎麦屋さん ランチタイム、追加料金無しで大盛りにしてくれます
おいしかったですヨ 二八でもないような感じでした
最後は、一週間前のチョコレート 六種類の焼酎ゼリーが閉じ込められていました
伊佐美(芋)・紅乙女(胡麻)・常蔵(麦)・武者返し(米)・れんと(黒糖)・あまおう(麦)
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます