台風第19号 [つれづれ]
秋葉原駅直下を走る抜ける「北陸新幹線・E7系」 自分が持っている唯一の “E7系” 画像(再掲です)
「300億円の “緊急避難”」 (myossyの “ゆめものがたり”?)
台風19号、甚大な被害を残して、アラスカ方面に抜けて行きました(アラスカが大変なようです)
気象庁は、事前に「狩野川台風」にも匹敵する強大な台風と強く注意喚起をしておりました
確かに強大だったようです 記録的な雨台風となって伊豆半島と関東地方南部に大規模な水害を引き起こした
自分は、小学4年生 川崎幸区の自宅まで氾濫した水がやってきました(浸水したのは、この時だけです)
たぶん、鶴見川に注ぐ “小倉用水路” が、バックウォーター現象を起こして氾濫したのでしょう(確信は無いです)
学校は浸水して当然休校(1日だけ?)雨上がりに、親父と二人 北の空を眺めていたのを記憶しております
(地理院の地図で標高を確認すると、学校 4.0m 自宅 4.2mでした)
今回、神奈川県の被害だけなら... 幹事長の云う「まぁまぁだった」感があるのかも...(とんでも発言です)
「狩野川台風」に匹敵すると云う事前告知で、まさか東日本一帯に大きな被害が出るとは、思えなかった
(我が家などでは、その前の台風15号の方が、風も雨も強大だったと云う印象でした)
狩野川台風(昭和33年台風第22号、国際名:アイダ/Ida)は、1958年(昭和33年)9月27日に神奈川県に上陸し、伊豆半島と関東地方に大きな被害を与えた台風である ちなみに、あの伊勢湾台風は、翌年の来襲です(昭和34年台風第15号、国際名:ヴェラ/Vera) (青字の部分、Wiki.から引抜きました)
前置きが、長くなりましたが...
台風19号により、被災されたみなさまには心よりお見舞い申し上げます
また、新たな 20号・21号がやってきております、みなさま十分にお気をつけください
「長野市大字赤沼」周辺
いつもの「今昔マップ」さんによる比較です(左の旧版地図は、1894〜1915年)
二つの “青丸” 左が「長野新幹線車両センター」 右下が「決壊場所」となります
(この記事の下で記載している「善光寺平洪水水位標」は “赤丸” で記しております)
「車両センター」は、浅川 右岸南側の低地、流れに沿って造成されております
国土地理院による「浸水推定段彩図(速報版)・千曲川」(の一部です)
「車両センター」付近の浸水は、濃い青色 4.2m近くの水深のようです
内閣情報調査室の情報収集衛星による「被災地域画像」(長野県小布施町)の一部
千曲川本流は、当然ですが、左岸一帯の低地に “泥流” が浸水しているのが、見てとれます
「車両センター」の右に見える大きな屋根「ホクト赤沼きのこセンター」です
もうお馴染みの画像ですが... “長野市穂保” の決壊箇所 大きな屋根は「長沼体育館」のものです
この画像は「NHK NEWS WEB」さんより...
旧田端操車場の貨車操車場跡地に設置された「東京新幹線車両センター」電留線 - 18線 仕業検査線 - 3線
なんじ頃の撮影か分かりませんが... 「E7系」が、1編成、電留されております
「長野車両センター」は “過去の浸水” を参考として「2mの嵩上げ」を実施しています
それでも、千曲川の土手の高さより6mも低い 332mとなります
「カシミール3D」作者 “DAN杉本” さんが Twitterに公開された画像です(10/15 に紹介しております)
ここで云う “過去の浸水” とは、センターの北を流れる「浅川」のことではないでしょうか...(水深 1.1mを想定)
Wiki.によりますと、その「浅川」の歴史は “氾濫の歴史” のようです
(2019.10.18 “ひるおび” の放送から...)
“センター浸水の縦断面図” 高さは、スタジオ一杯です 新幹線車両の腰の辺りまで浸水しております
(2019.10.18 “ひるおび” の放送から...)
2019.10.18 放送 午後の「ひるおび」
“1.1mの話し” は、47'42" から... “4.2m 浸水の話し” は、54'00"付近から始まります
こちらも 10/15に紹介した「善光寺平洪水水位標」(車両センターの脇に立っています、過去に、何度も水害が...)
もちろん “車両センター長” は、この「水位標」の存在を、ご存知のこととは思いますが...
「千曲川河川事務所」のHPから...
また、こちらには、「千曲川河川事務所」による “洪水の歴史” があります
「車両センター」からの “緊急避難” が必要だったと思います 10編成、300億円ですヨ
Wiki.によると... ここ「長野新幹線車両センター」には、12両編成19本が配置され、金沢の「白山総合車両所」には、12両編成11本が配置されている (と云うことは、長野の分残り9編成は、どこかに待機していて無事だったわけです)
北陸新幹線の通常の運行には、およそ24編成が必要で残り6編成が、保守、点検 etc.に充当されているようです 今回「長野車両センター」でも、3編成が点検のため工場の屋根の下に留置されていました(きっと「白山」でも、同じような対応がとられていた) 浸水が目に見える7編成は、当日の運行が終わり、順次、長野駅から回送された車両で、翌日も働く車両と思われます 残る長野分9編成は、たぶん「東京新幹線車両センター」で、出発待機中?、難を逃れました
避難する場所は、新幹線に多い “高架部” で無く、北陸新幹線にも多い “トンネル部” は、如何でしょうか...
流石に「碓氷トンネル」内は、無いでしょうが....
20191018の “信毎web” によると... JR東日本広報部は、車両をセンター外に「避難」させなかった理由については「その対応を含めて今後、振り返りたいが、まずは復旧を最優先に考えたい」としている だそうです
すでに、Wiki.(北陸新幹線)には、次の文章が加筆されております
車両の退避に関する基準・マニュアルの作成
車両基地から車両を退避させる場所や基準を定めたマニュアルなどはなかったことや、避難指示を受けての人命を優先するという方針だったため車両の退避は行わなかった JR東日本は当初退避を検討する気象条件の基準は定めるとしているとしていたものの、マニュアルの策定に関しては「車両の避難を決めた後、運転士の手配、避難させる場所を決めるなど実現まで時間がかかる 長野では決断から避難開始まで少なくとも7時間かかる 「車両の避難は臨機応変にやらねばならず、マニュアルを作ってできるものではない」と前向きな発言はしていなかったものの、後に策定する方針を示した
日経の記事にこんな記載を見つけました(2019/10/18 20:55)
栃木県那須塩原市にある東北新幹線の車両基地は 台風が直撃する恐れがあったことから退避して被害を免れた
「那須塩原電留線」の事例です、過去の経験を活かして、全8編成を郡山駅や利府町にある「新幹線総合車両センター」に避難させた 「那須塩原」では、留置線の本数を8線から26線へと拡張する計画がある そうです
昨日18時、20号 “温低” になりました でも降雨には、十分気をつけなければ いけないことでしょう
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最後に “箸休め” を... と思い
台風19号の通過で、奥多摩の日原街道が、一部崩落し「日原」が孤立状態となっております 地理院の地図を確認すると、崩落現場の横を「奥多摩工業曳鉄線」を確認できます 日原にある石灰採掘現場と青梅線 奥多摩駅(昭和46年まで “氷川駅” でした)近くの “奥多摩工業 氷川工場” とを結ぶものです
前置きが長くなりましたが「氷川工場」のGoogleマップ空撮画像のスクショです
(ゴチャゴチャ感がおもしろいかなと思い、左にある街並みは、整然としております)
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます