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横浜の地下駅から [横浜]

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  ここは、どこの駅でしょう?  


     ハ〜イ、ピンポーン 大正解  横浜みなとみらい線 馬車道駅です
       1面2線のホームは、地下3階、この改札階は、地下2階となります
       横浜駅から3駅目、 距離 2.6km 乗車時間 5分 運賃 180円 高いのです
       (距離 2.6kmは、東急線では 1〜3km相当 IC運賃では 124円)
  


 5番出口 馬車道口を出ると、南仲通りとの交差点  馬の「絵」が待っております
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 馬車道駅地下2階 改札口の壁面  私めには、少し....
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   ここで、みなとみらい線の平面図・断面図 (この画像、はまれぽ.com から借用)
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 みなとみらい線は、横浜駅で深くなり、そのまま、ほぼ水平にシールドで掘り進められています
   ホームがある階は、横浜駅が地下5階 新高島が同じく5階 みなとみらいが地下4階 
   馬車道が地下3階 日本大通りが地下3階 元町・中華街が地下4階 とみな深いのです

 はまれぽ.comさんのレポートによると.... 新高島駅が横浜市で一番深い構造物となり
  地面から新高島駅までが深さ27.2m
  地形図によると駅の標高が4.6mなので、ホームの深さは海抜で言うと22.6mということになる


  


    今日は、この春、リニューアルオープンした「神奈川県立歴史博物館」訪問です
      (意識せず、改装期間中に、2度ほど訪ねたことがあります)
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   建物は、旧横浜正金銀行本店本館 1995年(平成7年)には敷地を含め国の史跡に指定されている
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 空襲で焼け野原となった馬車道 上の画像の隣りに架かっておりました
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 玄関は、赤いジュータン  奥には、ステンドグラスも....
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 玄関の階段を上りきり、振り返ってみました  南仲通りとの交差点
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 歴史博物館の正面玄関は、反対側でした (もじどおり、こちらは「博物館通り」)
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    振り返ると、建築中の横浜市役所
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    横にも、歴史建造物? こちらは「第一銀行横浜支店」
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 ミュージアムショップは、玄関入って右手です
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 本日、二番目の収穫?です 中世の鎌倉のジオラマ (市歴史博物館では「六浦湊」でした)
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 横浜開港時、居留地のジオラマ
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 大盛況? 案内人の解説をその場ですぐ通訳して説明していました
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 円覚寺仏殿の模型 1/10のものだそうです (薄暗い中、荘厳な雰囲気?)
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 こちらは、本当に真っ暗闇の中の円覚寺舎利殿 (暗い暗い本当に暗いのです) 
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 この大砲は展示物の目玉でしょうか?  大きくのさばっておりました
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 あの「六浦湊」が大きく... 現横浜都心部も深い入江となって描かれております
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 「相州鎌倉之本絵図」 駅前の鳥居から段葛を経て八幡宮本殿 切通しに続く道も確認できます
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   今日、一番の目的物を発見 「江戸時代末期の村」のパネル
    神奈川県の郡・村・領主数・石数 etc.が集計されて記入されております
    たまたま、このパネルを作成した方に話しを聞くことができました
    明治大学教授の木村礎氏が校訂した「旧高旧領取調帳」を基としたものです
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「旧高旧領取調帳」(きゅうだかきゅうりょうとりしらべちょう)  Wiki.によると...
 明治時代初期に政府が各府県に作成させた、江戸時代における日本全国の村落の実情を把握するための台帳
 現在では、国立歴史民俗博物館が木村本にさらに校訂を加えてデータベースを作成し、同館のホームページ上でこれを公開している
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    金沢八景駅裏手に痕跡を残す「横浜で唯一の大名「六浦藩」」も計算できます
      その結果、相模・武蔵・下野の3国、44ヵ所 計16,887石
      久良岐郡でみると、85ヵ所 17,226石 廃藩置県でほとんどが神奈川県に帰属?
      六浦藩は、当初六浦県となったようですがすぐに神奈川県に吸収?
       Wiki.によると.... 六浦県は、たった4ヶ月の寿命だったようです

      余談ですが.... 江川太郎左衛門で検索すると...
       相模・武蔵の2国、352ヵ所 93,852石 となります(流石、江川さんお大尽)








                       本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます


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