横浜市電保存館 [横浜]
車両展示コーナーなかほどにある、大きな時計です
「横浜市電」は、明治37(1904)年から昭和47(1972)年まで約70年間にわたって“ちんちん電車”の愛称で親しまれ、横浜市民の足として活躍しました。
横浜市電保存館は、市電が廃止された翌年の昭和48(1973)年8月に滝頭車両工場跡地に開館し、その後、昭和58(1983)年には、現在の市営住宅1階に建て直されました。
館内には、7両の市電車両、停留所標識、敷石を当時の姿で保存、市電が走っていた時代の「時間」と「空気」を感じていただけるよう再現しています。
歴史展示コーナーでは、「横浜の発展と交通」をテーマとして、横浜の発展の礎となった吉田新田の干拓から、横浜開港、関東大震災、戦後の復興、市電の最盛期を経て廃止に至る経過、その後の横浜の都市計画の基となる6大事業や地下鉄への移行などをわかりやすく解説しています。 市電保存館のHPより借用
建物は、市バス滝頭営業所に隣接する5階建ての市営住宅(市営バスの運転手さんが、多いのでしょうネ)
市電保存館のHPより借用
自分(川崎育ち)の記憶では、横浜市電に乗車したのは1度だけなのです(川崎市電は、ゼロ)
昭和33年頃、桜木町駅前から三渓園を往復しました(そのころ、三渓園の南側は、まだ海でした)
市電保存館を訪ねたのは、多分、旧施設だったときの1度だけと思います
六浦の自宅から、横浜都心部に車で出るときは、この横を通り堀割川の左岸を上っていきますが....
(今日は、市営バス133系統 上大岡駅発根岸駅前行き、乗車20分、バス運賃216円です)
まずは、歴史展示コーナー
関東大震災で被災した横浜市電(1923年・大正12年)
桜木町通りと桜木町駅の高架ホーム(絵葉書・昭和初期)
大空襲直後の横浜市街地 1945年(昭和20年) 空襲は、昭和20年5月29日
桜木町駅上空付近から根岸湾を望む
写真中央、大岡川にかかる吉田橋から伊勢佐木町通りの付近
桜木町駅は無事だったが、中心市街地のほとんどは、焼け野原となった (写真の添書きより....)
市電運賃は、優秀(1904年→1972年) 蕎麦は 4,000倍 風呂は 1,920倍 市電は 667倍
市電路線図 (南北に赤い京急が走っています)
最近、タモリ倶楽部の会員 市川紗椰さんが来館したそうです(1600型にご乗車中)
市川さんは「dancyu」の「本気の昼めし」特集のため近くにある洋食屋さんを訪問しました
市電保存館のHPより借用
最初に、1000型の特集をしてみました エントランスにあるOゲージ模型
動態?保存された本物ですヨォ〜
市電は出入口の段差が大きいのです (どの型にも共通した課題だった?)
シンプルな運転席(各展示車両の運転席、記念写真用?に帽子が用意されております)
落着きますネ、レトロな車内
エントランス側から順に掲載しま〜す
500型 500-559号 60両製造 1928年(昭和3年)から運用 ボギー車で無く単車形式
再び、1000型 1928年(昭和3年)に市電初のボギー車として登場した車両
1100型 1936年(昭和11年)登場 全線廃止まで使用 「ロマンスカー」の愛称があった
1300型 1947年(昭和22年)登場 車掌が乗務していた最後の車両 最大30両が在籍
市川紗椰さんが、乗車していた1600型
交通局滝頭工場で6両製造された最後の新車 1957年(昭和32年)登場
1500型 1951年(昭和26年)登場 1967年(昭和42年)にワンマン化 全線廃止時まで使用
地下鉄グリーンライン開業10周年記念花電車しでん祭り(無蓋貨車を飾付けています)
Oゲージ(軌間32mm)の鉄道ジオラマ
中心駅のホーム後方には、横浜三塔が建っています
暗闇の中、横浜なので赤い電車が疾走してきます
もちろん、横浜市電も見やすい場所を走行しています 後ろに見えるのは、横浜市営観光バスです
多目的コーナーとシアター周辺には 吉村コレクション のOゲージ模型
蒸気機関車
電気機関車(一部ディーゼル機関車)
旧国鉄電車
私鉄電車
旧国鉄最大電機 EH10型 (ご幼少?のころ、新鶴見で毎日楽しんでおりました)
旧国鉄電機 EF58型 (これも、新鶴見で見たかナァ〜)
旧国鉄、横須賀色の70系電車
東急電鉄 5000系電車 渋谷駅前の『青ガエル観光案内所』ですネ
なぜか、多目的コーナー隅に、HOゲージ(軌間16.5mm)の寄贈模型も...
直流なので、もちろん青色塗装のEF62型電気機関車
こちらは、赤色塗装の交流電機の集合でした ED78型電気機関車
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます