第三海堡遺構見学記 [探索]
8月末に紹介したアイクルの3階から見ると....(構造物が3っ見えます)
手前にあるのが ③「観測所」 右に ②「砲台砲側庫」 奥に ①「探照灯」が見えます
一緒に海から引き揚げられた、④「大型兵舎」だけ、平成町の「うみかぜ公園」に置かれています
この上2枚の画像は、再掲です
横須賀市浦郷町にある「第三海堡遺構追浜展示場」を見学してきました
今日は、月に一度の「一般公開日」(毎月第一日曜日が公開日・10時〜15時)
左を歩く赤いシャツ赤い帽子の方、「案内板」を幾つもくくりつけていきました
展示室内で、おもしろい話しもたくさん聞かせていただきました(お世話になりました)
フェンスで囲まれた展示場は、こちらです 左手には「夏島都市緑地ドックラン広場」があります
遺構展示場傍にある「展示室」と「展示案内板」
(展示室の中に待機する赤シャツの人は、さきほどの方では、アリマセン)
見学のときに入手した資料をふたつ 紹介します
○ 追浜の歴史遺産 見学のしおり
横須賀市指定重要文化財 東京湾第三海堡物語 建設〜崩壊〜撤去〜移設・保存
○ 追浜の歴史遺産 〜見学のしおり〜 貝山地下壕
(貝山地下壕は、現在、一般公開されていません でも見学会は、あるのかも...)
第一から第三、各海堡の仕様です 「東京湾第三海堡物語」小冊子から....
第三海堡は、水深39m、工期も29年 費用は、⼯事費だけで249万円(現在の価格で約140億円)
現在、展示保存されているのは、この4点
④大型兵舎のみ「うみかぜ公園」で保存 「東京湾第三海堡物語」小冊子から....
同じく「東京湾第三海堡物語」小冊子から... おもしろい記述を抜粋して記載してみます
【被災後の第三海堡】
竣工から2年後、一度も実戦に使用されず、関東大震災で沈下した第三海堡は、波浪を受け暗礁と化しました暗礁化した第三海堡は特に荒天や濃霧の際船舶にとっては見えにくく障害になってきました すなわち1日平均700隻以上の船舶が通航する過密状態のなか、第二および第三海堡に挟まれた浦賀水道航路を対面通航する大型船舶は衝突や座礁の危険にさらされていました 船舶が大型化した昭和49年(1974)以降26年間に東京湾で海難事故が15件発生し、そのうち11件は第三海堡に関わるものでした 第三海堡が東京湾口での海難事故の大きな原因であることがわかります
「国土交通省」のHPには、こんな記載が....
レンネ少佐の⾒⽴て「世界に例のない無謀な⼯事」
明治34 年(1901)、築城本部⻑であった⽯本新六中将は、築城の⼤家、ドイツのレンネ少佐に建設中の第三海堡⼯事を視察してもらい、この事業の成否について意⾒を求めました。レンネ少佐は、「世界中でこのような深い海中に構造物を建設した例はない。第三海堡のように、波浪強⼤な外海に直⾯した⽔深40m 以上の海中に建設するのはむしろ無謀である。したがって、この完成のためには最善の注意と周到な準備が必要である。沈降を減らすためには、基礎上に砂を盛って圧⼒を加え、砂層を圧迫するのが良い。」と述べました。当時、世界的に⾒ても稀な⼤⼯事だったことが分かります。。
【第三海堡の位置図】 第⼆海堡より南2,611m、⾛⽔低砲台より北2,589m
2020.07.15 追記
今昔マップにより位置を確認 : 左図1965〜1968(昭43)年版
見物前、展示室の中で、あの赤シャツさんから20分ほど話しを聞かせていただきました(順不同)
・ 夏島は、ひとつの島だった 伊藤の別荘の前ではカキの養殖をしていた
・ 野島は埋立てた飛行場と繋がったので反対側の砂州に運河を掘った(野島は、文庫側と砂州で...)
・ 海堡は、第1〜3までみんな海の中に作った
・ 和賀江島を作った技術(鎌倉時代)で、石を沈めて廻りに護岸を築いて、たくさんの土を踏み固めた
・ 関東大震災では、液状化現象も発生したのかも...?
・ 和賀江島は、風向きが悪かったので崩れてしまった?
・ 第三海堡 大きな大砲は、置けなかった(第一・二海堡の方が大きい大砲を設置)
・ 最初の飛行機がここの飛行場で飛んだ? 機体の柱は木、そして布ばりの翼だった
・ 零戦は延べ1万?機製造 でも、すぐにダメになるので常時は、数百機しか動いていない
・ 戦後すぐ、米軍の修理を目的とする自動車が並んでいる(富士自動車があった)
・ 貝山地下壕は、東日本大震災で影響があり、見学会は模索中 夏島は無理
第三海堡遺構、Google Earthで裏側上方から覗いてみました(右に展示室があります)
【ここから、見学がはじまり】 今日は、ここの門が開錠されて公開となります
入口正面は、海堡頭部にあった ①探照灯施設(陸揚重量 565トン)
探照灯施設の右に ③観測所 第三海堡には、6つの観測所があった(陸揚重量 907トン)
同業者?がおられます
施設に上がっているのは、防衛大の先生のようです(総勢3名) 壁に測定具を当てていました
裏手には、たぶん見学用に小さな階段が設けられています
階段を一段上りました
観測所は、指揮官の位置するところで、視界が広く高い場所であったそうです
この展示観測所は、第三海堡最後部左側のもので、砲側弾薬庫と一体構造となっている
砲側庫(砲側弾薬庫)に入りました 小窓は、砲弾を出し入れするものです
設備の外に出ます 奥に、アイクルの建屋が見えます
観測所を右に回ると ②砲台砲側庫 これも海堡頭部から陸揚げされた(陸揚重量 540トン)
右に見える出っ張りは、たぶん砲弾の出し入れをする小窓かと...
二つの扉上部左右に、階段が付いています(上に空間があるようです)
砲側庫(砲側弾薬庫)が並列に二つ設置されているようです
観測所と同様に、砲側庫(砲側弾薬庫)に入りました ここにも小窓が開けられています
さらに、左に回って、ここから入口正面にある ①探照灯
設備廻りを囲む黒い土嚢は、ここが一番多かった
この正面下部は「探照灯台座」にあたるそうです
ここにも、見学用の階段が設置されています 上っていきます
奥が「探照灯台座」の位置となります
向かって左の「ほらあな」です 立入禁止のようです 左奥、観測所越しにアイクルが見えます
向かって右の「ほらあな」 侵入していきます
くら〜いくら〜い、洞穴?を振り返ってみました
突き当たりを左に折れると階段がありました 上ります(この画像は、上から撮影)
展望台?外が見えます 反対側も同じように上ってきています
これで【ほらあな探検】も、無事終了しました
ここで「東京湾第三海堡物語」に記載されている
うみかぜ公園に展示されている ④大型兵舎の情報です(備忘録ですネ)
これだけは、うみかぜ公園に展示されています
大型兵舎は尾部中央にあり、生活用水(防火用水)などのろ過施設を兼ね、守備兵が生活(退避)するための建物で、第三海堡の頭部側には千葉県側から横須賀市側に抜ける連絡通路(横断トンネル)がありました 兵舎の天井は半円形のアーチ状で、入口壁面にはイギリス積みのレンガが積まれていました また、連絡通路部分の地下に空間があり、生活用水ろ過のための砂が充填してありました(陸揚重量 1205トン)
見物は、終了です 大変おもしろく楽しめました 次の課題は「貝山地下壕」探検ですネ
こじんまりとした展示室 (ふだんは、閉鎖されています)
展示室の壁には、たくさんのモノクロ写真がかけられています
そのうちの一枚 戦後、夏島前の埋立地に並ぶ進駐軍の車列
いまは、同じ場所に同じように日産の輸出車が並びます 奥に写るのが夏島
真ん中には、で〜〜んと第三海堡の大?ジオラマ
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます