鎌倉霊園へ [鎌倉]
自宅マンション6階から西の方角に見える鎌倉の山並みです (うちは4階です)
写る建物は、鎌倉霊園最高地点に建つ 観音堂 この東隣り手前が朝比奈峠となります
富士山は、これより少し右側に頂だけどうにか確認することができます
お彼岸のとき、シュウメイギクを見に、トボトボ 瑞泉寺に向かうときに立寄りました
お彼岸なので、いつもは閉じている朝比奈峠側の門は、開いておりました
観音堂は、西武グループの創始者 堤康二郎を慰霊するために建てたものです
我が家から望めるのも何かの縁と思い、初めて鎌倉霊園頂上部に足を踏み入れてみました
カミさんの実家の最寄駅は石神井公園駅、西武池袋線には、お世話になっていました
観音堂からの展望 八景島シーパラダイス 後方に見えるのは、君津の火力発電所です
ここに写るのは、横浜市大病院です 手前を高圧線が横切っていますが....
アクアライン・海ほたると金沢テクノタワーが見えます
左から、野島公園、住友重機、夏島が見えます 高圧鉄塔がジャマですが...
こんな記事がネットにあります 「いつか、軽井沢の空で。」と云うブログから....
(一部、抜粋させていただきます 2008.06.05の日付です)
「週刊新潮」6/5号で面白い記事を見つけた。<「堤康次郎の墓を撤去しろ」で始まった西武の堤家完全追放>という特集だ
一代で西武王国を築いた初代・康次郎の巨大な墓は、西武が開発した55万平方M以上もの公園墓地「鎌倉霊園」内にある。かつては毎年元旦に、ヘリコプターで駆けつける2代目・義明氏とともにグループ幹部500人が墓前に手を合わせた。また「感謝と奉仕」の社是を引き継ぐと称して「奉仕当番」なるものが存在した。これは西武グループ内の企業各社社員2名が毎日手弁当で墓地内にある休憩所に泊り込み、朝夕の「鐘つき」や清掃などの墓守りをするというもの。「にぎやかなのが好きだった先代が淋しがらないように」と義明氏が指示して始めたというから、どこまでも前時代的で公私混同も甚だしい。堤家の定義する「感謝と奉仕」とは社会や顧客に対するものではなく、あくまでも堤家に対してのものを意味するらしい。
と云うことで、少し気になっていました 堤さんのお墓をトボトボ訪ねてみました
そして、こちらが天を突く感じの観音堂 なんとなく、廻りはサッパリとしています
広大なお墓です 正面に墓石があります
お墓を守っている、ペアの....
墓前にたどり着きました これ以上は近づけません 一番奥に黒い墓石?があります
墓前で振返りました もちろん、ここに居るのは、じぶんひとりだけです
墓の右横に立つ銅像 基礎石に「内閣総理大臣佐藤栄作書」と彫られています
グーグルマップで広大な区画を上から覗いてみました 右側が朝比奈峠です
アッ、墓地なので赤いヒガンバナが....
今週は、秋のお彼岸 多くの車が行き来していました
鎌倉霊園の廻りは、高圧線銀座なのです 写る緑は、横浜と鎌倉の市境、天園のハイキングコース
午後の西の日差し あまり良好ではアリマセン 江ノ島がようやく見える視界です
霊園の隙間、朝比奈峠を抜ける道が走ります いま観光バスがトボトボ上ってきました
ここから、おもむきを変えて 瑞泉寺
まずは、飽き加減のヒガンバナ まだ、盛りでした(前回は、途中 永福寺跡のヒガンバナでした)
過日、白山道東光禅寺で紹介したタマアジサイ ここには、まだ、きれいなツボミもありました
山門に続く石段、岐れ道です 今日は、左の苔むす方をチョイスしました(男坂かしら...)
山門にたどり着きました
山門右側につくばいがありました
山門を静かにくぐり抜けます
右手に、もう葉が一枚も無い樹 なんの木でしょうか... 気になります
境内にも、シロバナ、アカバナのヒガンバナ
目的のシュウメイギク(秋明菊・貴船菊)は、まだまだ時間が必要でした
白いフヨウは、まだ盛りです こちらのは、午後になっても全く酔っ払わないようです
時間が過ぎました、もう5時となります 閉門です 急いで脱出します 受付は、すでに空っぽでした
瑞泉寺には、名勝となる裏庭があります 咲き誇るシュウメイギクと共に、またの機会です
本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます