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一週一鉄 -- 314 -- [ゆる鉄]

 --- 金沢八景の白梅です ---

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                  今日も金沢八景の風景を....
                   シラウメが満開です
                  その後ろをアカイ電車が...
               映る電車は、三崎口行きの快速特急です

                 (京急本線/金沢八景〜追浜)






先週の探検 に関して、いろいろググってみますと、金沢八景に、六浦藩というものがあったことを発見
   (以下 Wiki.から拾い読みすると...)
  金沢文庫で知られる久良岐郡金沢近傍の六浦に陣屋を置いたため武州金沢藩や武蔵金沢藩とも呼ばれる
  藩庁は六浦陣屋に置かれた。ただし、金沢文庫周辺の各村は当藩の所領ではなく、また久良岐郡内よりも
  大住郡などの飛地の方が村数・石高ともに大きかった
  8代将軍 吉宗の時代(1722年)からはじまり
  1871年(明治4年)7月14日の廃藩置県により六浦県となったが、同年11月14日には同県管轄区域のうち
  相模川以東が神奈川県に、相模川以西が足柄県に統合された 陣屋遺構として、当時の石段が残っている
  歴代藩主は「米倉」家という (六浦藩は、8代続いた)


  
 もうひとつ、はまれぽ.comによりますと...
  江戸時代にあった横浜唯一の藩「六浦藩」 本拠地の六浦陣屋跡地には藩主のご子孫が住まわれている
  藩主のご子孫は、しばらくは「子爵」として、現在は一般市民として跡地の一画にお住まい
  跡地は、住宅地になっていて史跡公園などにする計画は無い
  江戸時代の横浜は、江戸に近いために、領地(土地)の多くは幕府や旗本のものであった。そんな中で、
  現在の金沢区や平塚市などに広がっていた「六浦藩」は、横浜で唯一の大名の領地「藩」であった
  徳川家直属の家臣で、石高が1万石未満の領主のことを「旗本」、石高が1万石以上の領主を「大名」と呼ぶ
  なお、「大名」も、徳川家との関係によって分かれていて、六浦藩の藩主は、関ヶ原の戦い(1600年)
  以前から徳川家の家臣であった「譜代大名」と呼ばれる大名である
 
      金沢藩領地分布図 運営・管理するのが大変そうです
      024-2.jpg
                               (はまれぽ.com より拝借)

 横浜金沢観光協会のHPには、以下の記述がありました
   享保7年(1722) 米倉氏が六浦引越村に移り住み、金沢藩が成立した。後に六浦藩と改名した





と云うことで、今日は、京急金沢八景駅裏にある六浦陣屋跡地を探索しました
  唯一の遺構となる邸に続く「石段」は、すぐに確認することができました
  おやしきの郵便受、名前は「米倉」でした、もうひとつ表記されておりましたが....
  石段の写真を撮っていると、たまたま反対側の家人が帰宅して、少しお話しをしてくれました
  そして、米倉家の墓所が、奥の分かりにくい場所にあるということで、わざわざ案内してくれました
   (お世話になりました ありがとうございました
  驚くことに、この方が、六浦中学の生徒だった時、あの東洋化工爆発事故があったそうです
  当時、学校は、現在の横浜市大の場所にあり、爆発した工場に隣接していたそうです
  そのため、案内してくれた御仁もケガをされたということでした

 そこで、横浜市立六浦中学校の沿革(大道分校まで...)を確認してしまいました
   S22.5   開校(現在の六浦小学校に同居)
   S22.11    現横浜市立大学内に移転
   S31.3    六浦中学校塩場分校を設置
   S33.10    塩場分校を本校とする。本校を分校とする。
   S34.4    分校を廃止、本校に移転
    1959年(昭和34年)11月20日午前10時30分頃 東洋化工爆発事故
   S36.9     大道分校設置
   S38.5    大道分校独立、横浜市立大道中学校とする
       (以後、割愛させていただきます)
       (ちなみに、うちの子供たちは、大道中学校にお世話となりました)

    ※ 六浦中学の隣の金沢中学校も市大の敷地にあったようです 
     横浜市立金沢中学校の沿革をみてみると...
      昭和22年11月15日 現市大,元六浦中学校敷地内に移転,校名を横浜市立金沢中学校と改称

     昭和29年発行の国土地理院の地図 横浜市大の敷地内に「中学校」の文字が見てとれます
  
  


    お馴染みの掲示板 これは「金沢八景南 急傾斜地崩壊危険区域」
      神奈川県横浜川崎治水事務所 この区域内での工事は知事の許可が必要です
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      1. 六浦陣屋があった場所  2. 石段(唯一残る遺構となる)  3. 米倉家墓所
      4. 笠森稲荷大明神  5. 権現山の山頂?  6. 権現様が祀られている付近
          (この地図、左方向がほぼ北となります)




 2. 跡地に建つ邸の玄関に続く石段 (ネットでは、これだけが遺構かと....)
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    明治期の地図で見ると「六浦陣屋」 ここだったのでしょう(青色に着色しました)
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 この奥が、3. 当主 米倉家の墓所 (神道のお墓だそうです)
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 墓石が並ぶ前は、広場という感じ  大きなイチョウの木の残骸が横たわっていました
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 中心の三基の墓石(明治という刻印は確認できました)
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    関係無いと思いますが... 4. 正一位笠森稲荷大明神  赤い鳥居は、二本立っています
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    小ざっぱりした社殿です
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最近の金沢八景駅前工事進捗状況 (2017.01.30撮影)
   金沢八景駅前交差点 シーサイドラインの海側橋脚二本に橋桁が渡りました
   現在は、この橋桁とシーサイドライン間の横の橋桁を渡す準備をしていました
   次の大工事は、2月末です 国道16号を深夜3時間近く断続で通行止にします

 八景駅側から眺めた様子  この左側の丸い橋脚、歩道橋の脇に、むかしから立っていました
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 シーサイド側からも眺めてみました 
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    橋桁締結には、すごくたくさんのボルトが使われるのですネ ボルトを通す穴が並んでいます
    DSC_2436-2.jpg 










              本日も“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます



        みなさま、そば粉のご要望は、八ヶ岳産の信州そば粉を.....
       



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