六浦川 [横浜]
ここに、地元 六浦の旧い地図があります
我が家の近くにある、郵便局・交番の名前は「六浦川」と云います
付近を、二級河川である侍従川(ジジュウガワ)は流れていますが、六浦川は.....
また、六浦川を、ムツウラガワで無く、ムツウラーカワと云う発音もされており
少し気になって、金沢図書館を訪ねたりしていました
六浦は「浦」と云うだけあって、大むかしは、海が奥まで入っていたようです
ようやく、ネットの中で、金沢区六浦の旧い地図を見つけることができましたので
少し、書いてみようと思いました
この地図では、埋立地である柳町が まだ平潟湾の海となっています
地図に平潟湾と書かれた柳町が埋立地として完成したのは、1966年(昭和41年)3月
地図をのぞくと、六浦・瀬戸・上行寺・泥牛庵・金龍院・九覧亭・六浦橋・金沢八景駅
京浜急行瀬戸変電所 また、八景駅の東には、平潟湾に浮かぶ琵琶島が見てとれます
(湘南電気鉄道が誕生し、金沢八景駅ができたのは、1930年(昭和5年)です)
地図の下辺を左から右へ、京急の二つの路線、六浦橋を経て平潟湾に流れ出る六浦川が、ありました
これで、六浦川郵便局の読みは「ムツウラガワユウビンキョク」と納得
また、地図を南北に走る横須賀街道、東西に走る県道原宿-六浦線(環状4号線)が交わり
京急電車のガードがある交差点が「六浦」です その南側には、六浦橋が....
この近くのバス停は「六浦橋」と云います これも、合点がいきました
【ここから、後日の確認・訂正です】 (2015.10.31追記)
東京九段にある国土地理院を訪ねて「六浦の旧い地図」を確認してきました
旧版の地図には、六浦駅近くに「川」と云う地名が書かれています
我家の廻りには「川町内会」と云う表示が掲げられているお家も見うけられます
「六浦 川交番」のおまわりさんと話しをしてみると「川」交番のような認識でした
と云うことで.... ムツウラーカワ交番 が正解のようです 大変、失礼致しました
しかし「川」などという単純・無垢な地名を付けるとは....
2018.08.25 追記
「金沢の100年 六浦県から海の公園まで」内田四方蔵 著 に古地図を見つけました
侍従川の北側に、上行寺の前を流れて平潟の入海に注ぐ「六浦川?」が描かれております
源流は、素掘りの白山道トンネル辺りと六浦小学校の裏手という二ヶ所と思われます
侍従川の支流地点に「三分」と云う地名も記載されております
(この地図、「水面」関係を水色に加工しました、左側が、およそ北方向となります)
「金澤六浦荘略図」大正15年8月7日 横須賀鎮守府検閲済(「武州金沢六浦案内」昭和2年5月 家田洋文 著)
2019.10.25 追記
江戸時代後半「伊能地図」では、こんな感じだったそうです
北から、小柴村、能見堂、赤井村、宿村、金利谷、寺前村、町屋村、洲崎村、三島明神、六浦、泥亀新田、米倉丹後守在所、一覧亭、野島、夏島、烏帽子岩、鉈切、武蔵國久良岐郡/相模國三浦郡の境 の地名が確認できます
国土地理院・古地図コレクション・伊能大図彩色図「93 武蔵 神奈川 相模 馬入川 城ヶ島」より
2018.09.02 追記 ----- 六浦川の記述がありました -----
「私の語る金沢 町の古老に聞く」(P 72・73) 1998年3月・金沢区役所発行
⑥ ロケット公園
鈴木(興) ロケット公園があるところまで船が入っていました。そこに水門があったので船はそれ以上
先へは行けませんでした。子供たちはそこで、ずいぶん泳ぎました
青木 またロケット公園のところは塩場でした。塩を作っていたのですから、
相当に水の出入りがあったわけです
鈴木(興) 今は埋め立ててしまいましたが、六浦小学校の脇からずっと流れてきた川が、
ロケット公園に流れ込んでいました
青木 白山道のトンネルの手前から流れてきて、小学校の裏を通り、
そのまま道路沿いにずっと流れ下って、ロケット公園に入ってきたのです
鈴木(興) 白山道のトンネルのある山の尾根が分水嶺になっていて、尾根から向こうは宮川に落ち、
こっちは六浦川に落ちました
2018.09.04 追記
金沢区のハザードマップには、六浦川の記述がありました(1部加工しました)
「わがまち洪水ハザードマップ・金沢区版」 国土交通省HPから…
2018.10.25 追記
ネットに、こんな、おもしろい地図を発見しました(田代先生Twitterから進みました)
六浦川が記入されております
歴史的農業環境閲覧システム(出典: 農研機構 (https://www.finds.jp/mapprv/mapext.html.ja))
以下、HPの説明文です
歴史的農業環境閲覧システムへようこそ。
このページでは、明治初期から中期にかけて関東地方を対象に作成された「迅速測図」と
現在の道路(赤線)、河川(水色線)、鉄道(灰色)、土地利用図とを比較することにより
農村を取り巻く環境の歴史的な変化が閲覧できます
右の現在の地図 国道16号に架かる六浦橋より西側、川は無くなっています(暗渠でしょうか....)
右中の青いところが、現在、残った六浦川 右端で、平潟湾に流入しています
川の右岸(南側)は、埋立地である柳町の住宅街です
2018.12.28 追記
このブログのきっかけとなった「六浦の旧い地図」 (水の部分を着色しました)
原図は「横浜市三千分の一地形図(昭和初期・昭和3〜28(1928〜1953)年)」だったようです
この地図では、六浦川を河口から源流まで確認することができます
◯ 六浦小学校の裏手を流れる小さな流れが見えます、源流地は、小さな池のようです
◯ 白山道トンネル付近を源流とする支流は、記載されておりません
「横浜市三千分の一地形図(昭和30年代・昭和29〜40(1954〜1965)年)」(上の地図から30年後となります)
◯ 源流地となる六浦小学校裏の “池”は、残っておりますが、川の流れはありません(暗渠化?)
◯ 六浦橋付近には 「六浦橋」「六浦川」の記載があります
◯ その上流には「六浦ポンプ場」「児童公園(ロケット公園)」を記載、地図上に六浦川はありません
(丘の上となる我が家一帯の住宅地はまだですが、手前の地区は開発が始まっております)
環状4号線、現在の六浦川の河口から1.5km奥に進んでも、海抜は2.5mぐらいです
逗子方面への分岐、六浦川郵便局がある西六浦交差点での海抜は1.5mです
京急逗子線が走る西隣りには、横浜市環境創造局の「六浦ポンプ場」があります
(建物入口部分に「流入ゲート」がニ本設置されていました)
「六浦ポンプ場」の前には「ロケット公園(六浦公園)」があります
現在の六浦川は、六浦ポンプ場からの排水(合流雨水)のみを受け平潟湾へ放流されています
横須賀街道(国道16号)が走る、六浦橋 この時間、干潮でした
角田武夫(すみだたけお・1884~1945)氏が描いた、昭和初めの「六浦橋」
昭和10年代の金沢を克明に描いた『金沢百景』を残してくれた角田武夫は、明治17年に六浦荘村
三分(現在の金沢区瀬戸)に生まれました 金沢藩藩士の子孫であり、当時父は教員をしていました
タウンニュース 金沢区・磯子区版「金沢百景を巡る」から拝借しました
これは、六浦三丁目地内 暗渠となった下水道(ちょうど、いま、補強工事中)
(自分の大推測では、この暗渠が六浦川だったのでは、無いかと....)
後日、東京にお上りさんして、国土地理院 関東地方測量部を訪ねて確認しま〜す
埋立地である柳町の街路樹は、キンモクセイ、いまの時季 あの香りでいっぱいです
地図には、金龍院/九覧亭(キュウランテイ)も....
九覧亭がある金龍禅院は、ふだんは、固く門を閉ざしております
先日、秋の彼岸と云うことで門が開いておりました、九覧亭に上らせていただきました
金龍禅院を案内してくれる「鎌倉遺構探索」によりますと.....
九覧亭は能見台からの眺望の衰退により江戸後期にここ金龍禅院に新しく設けられた
展望台だとありました 野島・平潟湾・瀬戸橋などの金沢お馴染みの八景に、富士山
もしくは能見台の一景を加えて九覧亭と命名されたようです
つまり九つの景色が堪能出来るという事です
むかしは、チャント眺望は、良かったようです
ネットを検索すると、長崎大学付属図書館のリンク先にたどりつきました
九覧亭から瀬戸神社・琵琶島を写した画像が紹介されています
琵琶島の右奥は、ハス田が広がる泥亀ですネ 今は、ダイエーやサニーマートがあります
サニーマート前を走る、国道16号泥亀バイパスが供用開始されたのは、1969年(昭和44年)
泥亀(でいき)とは、短絡的にハス田のドロドロを表現したのかと思っていましたが....
泥亀新田の埋立は、江戸時代寛文8年から、湯島聖堂の儒官 永島祐伯によって始まり
その永島祐伯の号 泥亀から名付けられたそうです
ここから、九覧亭登攀記です
昇天山金龍禅院の本堂
横浜市地域史跡の説明板
九覧亭に登る道、チャンと閉ざされています 許可をいただいて侵入しました
こんな道を登っていきました
丘の頂上には、昭和33年に建てられた「聖徳太子堂」がありました
聖徳太子堂の周り、木々が生い茂っています、視界は、あまり、よくアリマセンでした
それでも、梢の隙間から、平潟湾の上を走るシーサイドラインを... 後ろの緑は、野島です
同じく頂上からの眺望、関東学院大学六浦校舎
金龍禅院、門前脇には、六地蔵と南無阿弥陀如来が安置された地蔵堂がありました
国道16号六浦交差点の歩道橋から見た、九覧亭の丘の緑
今日の付録です 先週土曜日 久しぶりのうどん打ち 天ぷらは、諏訪から届いた松茸でした
そば打ちは、技術と思うのですが、うどん打ちは力仕事なのです
次回は、塩水の量を増やして、誤魔化そうと考えています
ごちそうさま、美味しかったですヨ
本日も、“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます
我が家の近くにある、郵便局・交番の名前は「六浦川」と云います
付近を、二級河川である侍従川(ジジュウガワ)は流れていますが、六浦川は.....
また、六浦川を、ムツウラガワで無く、ムツウラーカワと云う発音もされており
少し気になって、金沢図書館を訪ねたりしていました
六浦は「浦」と云うだけあって、大むかしは、海が奥まで入っていたようです
ようやく、ネットの中で、金沢区六浦の旧い地図を見つけることができましたので
少し、書いてみようと思いました
この地図では、埋立地である柳町が まだ平潟湾の海となっています
地図に平潟湾と書かれた柳町が埋立地として完成したのは、1966年(昭和41年)3月
地図をのぞくと、六浦・瀬戸・上行寺・泥牛庵・金龍院・九覧亭・六浦橋・金沢八景駅
京浜急行瀬戸変電所 また、八景駅の東には、平潟湾に浮かぶ琵琶島が見てとれます
(湘南電気鉄道が誕生し、金沢八景駅ができたのは、1930年(昭和5年)です)
地図の下辺を左から右へ、京急の二つの路線、六浦橋を経て平潟湾に流れ出る六浦川が、ありました
これで、六浦川郵便局の読みは「ムツウラガワユウビンキョク」と納得
また、地図を南北に走る横須賀街道、東西に走る県道原宿-六浦線(環状4号線)が交わり
京急電車のガードがある交差点が「六浦」です その南側には、六浦橋が....
この近くのバス停は「六浦橋」と云います これも、合点がいきました
【ここから、後日の確認・訂正です】 (2015.10.31追記)
東京九段にある国土地理院を訪ねて「六浦の旧い地図」を確認してきました
旧版の地図には、六浦駅近くに「川」と云う地名が書かれています
我家の廻りには「川町内会」と云う表示が掲げられているお家も見うけられます
「六浦 川交番」のおまわりさんと話しをしてみると「川」交番のような認識でした
と云うことで.... ムツウラーカワ交番 が正解のようです 大変、失礼致しました
しかし「川」などという単純・無垢な地名を付けるとは....
2018.08.25 追記
「金沢の100年 六浦県から海の公園まで」内田四方蔵 著 に古地図を見つけました
侍従川の北側に、上行寺の前を流れて平潟の入海に注ぐ「六浦川?」が描かれております
源流は、素掘りの白山道トンネル辺りと六浦小学校の裏手という二ヶ所と思われます
侍従川の支流地点に「三分」と云う地名も記載されております
(この地図、「水面」関係を水色に加工しました、左側が、およそ北方向となります)
「金澤六浦荘略図」大正15年8月7日 横須賀鎮守府検閲済(「武州金沢六浦案内」昭和2年5月 家田洋文 著)
2019.10.25 追記
江戸時代後半「伊能地図」では、こんな感じだったそうです
北から、小柴村、能見堂、赤井村、宿村、金利谷、寺前村、町屋村、洲崎村、三島明神、六浦、泥亀新田、米倉丹後守在所、一覧亭、野島、夏島、烏帽子岩、鉈切、武蔵國久良岐郡/相模國三浦郡の境 の地名が確認できます
国土地理院・古地図コレクション・伊能大図彩色図「93 武蔵 神奈川 相模 馬入川 城ヶ島」より
2018.09.02 追記 ----- 六浦川の記述がありました -----
「私の語る金沢 町の古老に聞く」(P 72・73) 1998年3月・金沢区役所発行
⑥ ロケット公園
鈴木(興) ロケット公園があるところまで船が入っていました。そこに水門があったので船はそれ以上
先へは行けませんでした。子供たちはそこで、ずいぶん泳ぎました
青木 またロケット公園のところは塩場でした。塩を作っていたのですから、
相当に水の出入りがあったわけです
鈴木(興) 今は埋め立ててしまいましたが、六浦小学校の脇からずっと流れてきた川が、
ロケット公園に流れ込んでいました
青木 白山道のトンネルの手前から流れてきて、小学校の裏を通り、
そのまま道路沿いにずっと流れ下って、ロケット公園に入ってきたのです
鈴木(興) 白山道のトンネルのある山の尾根が分水嶺になっていて、尾根から向こうは宮川に落ち、
こっちは六浦川に落ちました
2018.09.04 追記
金沢区のハザードマップには、六浦川の記述がありました(1部加工しました)
「わがまち洪水ハザードマップ・金沢区版」 国土交通省HPから…
2018.10.25 追記
ネットに、こんな、おもしろい地図を発見しました(田代先生Twitterから進みました)
六浦川が記入されております
歴史的農業環境閲覧システム(出典: 農研機構 (https://www.finds.jp/mapprv/mapext.html.ja))
以下、HPの説明文です
歴史的農業環境閲覧システムへようこそ。
このページでは、明治初期から中期にかけて関東地方を対象に作成された「迅速測図」と
現在の道路(赤線)、河川(水色線)、鉄道(灰色)、土地利用図とを比較することにより
農村を取り巻く環境の歴史的な変化が閲覧できます
右の現在の地図 国道16号に架かる六浦橋より西側、川は無くなっています(暗渠でしょうか....)
右中の青いところが、現在、残った六浦川 右端で、平潟湾に流入しています
川の右岸(南側)は、埋立地である柳町の住宅街です
2018.12.28 追記
このブログのきっかけとなった「六浦の旧い地図」 (水の部分を着色しました)
原図は「横浜市三千分の一地形図(昭和初期・昭和3〜28(1928〜1953)年)」だったようです
この地図では、六浦川を河口から源流まで確認することができます
◯ 六浦小学校の裏手を流れる小さな流れが見えます、源流地は、小さな池のようです
◯ 白山道トンネル付近を源流とする支流は、記載されておりません
「横浜市三千分の一地形図(昭和30年代・昭和29〜40(1954〜1965)年)」(上の地図から30年後となります)
◯ 源流地となる六浦小学校裏の “池”は、残っておりますが、川の流れはありません(暗渠化?)
◯ 六浦橋付近には 「六浦橋」「六浦川」の記載があります
◯ その上流には「六浦ポンプ場」「児童公園(ロケット公園)」を記載、地図上に六浦川はありません
(丘の上となる我が家一帯の住宅地はまだですが、手前の地区は開発が始まっております)
環状4号線、現在の六浦川の河口から1.5km奥に進んでも、海抜は2.5mぐらいです
逗子方面への分岐、六浦川郵便局がある西六浦交差点での海抜は1.5mです
京急逗子線が走る西隣りには、横浜市環境創造局の「六浦ポンプ場」があります
(建物入口部分に「流入ゲート」がニ本設置されていました)
「六浦ポンプ場」の前には「ロケット公園(六浦公園)」があります
現在の六浦川は、六浦ポンプ場からの排水(合流雨水)のみを受け平潟湾へ放流されています
横須賀街道(国道16号)が走る、六浦橋 この時間、干潮でした
角田武夫(すみだたけお・1884~1945)氏が描いた、昭和初めの「六浦橋」
昭和10年代の金沢を克明に描いた『金沢百景』を残してくれた角田武夫は、明治17年に六浦荘村
三分(現在の金沢区瀬戸)に生まれました 金沢藩藩士の子孫であり、当時父は教員をしていました
タウンニュース 金沢区・磯子区版「金沢百景を巡る」から拝借しました
これは、六浦三丁目地内 暗渠となった下水道(ちょうど、いま、補強工事中)
(自分の大推測では、この暗渠が六浦川だったのでは、無いかと....)
後日、東京にお上りさんして、国土地理院 関東地方測量部を訪ねて確認しま〜す
埋立地である柳町の街路樹は、キンモクセイ、いまの時季 あの香りでいっぱいです
地図には、金龍院/九覧亭(キュウランテイ)も....
九覧亭がある金龍禅院は、ふだんは、固く門を閉ざしております
先日、秋の彼岸と云うことで門が開いておりました、九覧亭に上らせていただきました
金龍禅院を案内してくれる「鎌倉遺構探索」によりますと.....
九覧亭は能見台からの眺望の衰退により江戸後期にここ金龍禅院に新しく設けられた
展望台だとありました 野島・平潟湾・瀬戸橋などの金沢お馴染みの八景に、富士山
もしくは能見台の一景を加えて九覧亭と命名されたようです
つまり九つの景色が堪能出来るという事です
むかしは、チャント眺望は、良かったようです
ネットを検索すると、長崎大学付属図書館のリンク先にたどりつきました
九覧亭から瀬戸神社・琵琶島を写した画像が紹介されています
琵琶島の右奥は、ハス田が広がる泥亀ですネ 今は、ダイエーやサニーマートがあります
サニーマート前を走る、国道16号泥亀バイパスが供用開始されたのは、1969年(昭和44年)
泥亀(でいき)とは、短絡的にハス田のドロドロを表現したのかと思っていましたが....
泥亀新田の埋立は、江戸時代寛文8年から、湯島聖堂の儒官 永島祐伯によって始まり
その永島祐伯の号 泥亀から名付けられたそうです
ここから、九覧亭登攀記です
昇天山金龍禅院の本堂
横浜市地域史跡の説明板
九覧亭に登る道、チャンと閉ざされています 許可をいただいて侵入しました
こんな道を登っていきました
丘の頂上には、昭和33年に建てられた「聖徳太子堂」がありました
聖徳太子堂の周り、木々が生い茂っています、視界は、あまり、よくアリマセンでした
それでも、梢の隙間から、平潟湾の上を走るシーサイドラインを... 後ろの緑は、野島です
同じく頂上からの眺望、関東学院大学六浦校舎
金龍禅院、門前脇には、六地蔵と南無阿弥陀如来が安置された地蔵堂がありました
国道16号六浦交差点の歩道橋から見た、九覧亭の丘の緑
今日の付録です 先週土曜日 久しぶりのうどん打ち 天ぷらは、諏訪から届いた松茸でした
そば打ちは、技術と思うのですが、うどん打ちは力仕事なのです
次回は、塩水の量を増やして、誤魔化そうと考えています
ごちそうさま、美味しかったですヨ
本日も、“トボトボ進行”にご訪問ありがとうございます
うどんは1回チャレンジしてとてもうまく出来ました。2回目以降は全く駄目です。粉は同じなのに・・・そろそろ新そば粉の手配をしないと・・
by takenoko (2015-10-07 07:05)
緑が濃くて綺麗な写真ですね^^
by ワンモア (2015-10-07 08:01)
takenoko さま
nice! コメント ありがとうございます♪
夏場は、そばがおいしくできないので、うどん打ちです 力仕事です
新そばが、出回り始めましたネ でも、夏そばなので、秋そばまで待機です
10月は、かぼちゃ祭りですか....
by myossy (2015-10-07 19:14)
takenoko さま
nice! コメント ありがとうございます♪
「九覧亭の緑」に、一票ありがとうございます
うどん、うちは、今は丸亀派です はなまるうどんも、好みですが...
by myossy (2015-10-07 19:19)
うどん打ちとは、いいですね〜♪ (๑◔‿◔๑)
ツヤツヤで、いかにも美味しそう。
子どもが小さい時、作ったことがありましたが、
たしかに重労働ですね(笑)
“そばもん” を読んでいると、そばを打ってみたくなります(笑)
by desidesi (2015-10-09 14:39)
desidesi さま
nice! コメント ありがとうございます♪
ハイ、うどん打ちは、力仕事ですネ、毎回汗びっしょりです
もうすぐ、そば打ちシーズン到来です
良いそば粉を入手すれば、美味しい蕎麦が、すぐ打てますヨ
もし、困ったら諏訪の「高山製粉」さんの白樺を...
自分は、今年は、立石の玄庵で、常陸秋そばを入手しようかと思案中
by myossy (2015-10-09 17:37)